『世界史の針が巻き戻るとき』 第1章 第2章

第1章 世界史の針が巻き戻るとき

≪多くの人は、ヨーロッパこそがほかの国を植民地化していると思っています。しかしシステムという意味ではヨーロッパは、アメリカのソフトパワーによって植民地化されています。我々が観るネットフリックスなどは、植民地化された空間です。第二次世界大戦後に我々が目にしているものは、植民地の脈絡です。新しい(アメリカの)植民地が数多くできました。≫p24

 

アメリカの企業が主導する情報産業によって世界は植民地化されているが、その情報産業自体は見せかけの姿であり、本質は隠されている。

 

≪一般的に言うと、グローバルな領域で我々が今目の当たりにしているトレンドの多くは、擬態(生物が攻撃や自衛などのために、体の色や形などを、周囲の植物・動物などに似せてカモフラージュすること)の形を持っています。最初に始めたのはアメリカです。18世紀初期頃から、アメリカはヨーロッパのようになっていきました。彼らの言語はヨーロッパ言語の一つである英語であり、建築も、大きさ以外はヨーロッパ的でした。旅行者の目に、アメリカはまるでヨーロッパ・バージョンの外国のように映ったでしょう。もちろん見せかけだけで、実質は違ったのですが。≫p25~26

 

情報産業だけではなく、国も擬態している。アメリカはヨーロッパを擬態し、中国はアメリカを擬態している。ヨーロッパはヨーロッパを擬態している。ヨーロッパが擬態している本体のヨーロッパは存在しない。「ヨーロッパ新聞」のような媒体が存在しないのは偶然ではない。

 

≪私が言いたいのは、WASPたちがアメリカ西海岸を表象している、ということです。彼らがアイデアの源泉であるわけではありません。もちろん、いくつかは彼らの発案でしょうが。彼らには構造的なパワーがあるのです。たとえばフェイスブックの創業者であるマーク・ザッカーバーグハーバード大学出身ですね。強力な構造的パワーです。そのために、一つのアイデアだけで大成功したのですから。しかし、擬態の壁の裏で糸を引く人たちからのインプットがなければ、そのアイデアもまったく実現しなかったでしょう。≫p31

 

SNSを主導する本体はアメリカ西海岸WASPというイメージが強いが、実際はそうではない。擬態された本体には構造的なパワーがあり、リアリティは隠されている。

 

≪時計の針が巻き戻り始めた世界において、「新しい実在論」は、新しい解放宣言です。特に我々はソーシャル・メディアから自分自身を解放しなければなりません。ソーシャル・メディアなどは、純然たる擬態です。ソーシャル・メディアは社会であるかのように見えますが、実際は違います。この二十一世紀という時代にリアルなものへ回帰するためには、いろいろな戦略を見つけ出さないといけません。≫p33

 

インターネットは非民主主義的な環境を提供し、民主主義の土台を揺るがしている。

インターネットには法廷も裁判官も権力の分立もない。

例えば、もし、北朝鮮フェイスブックに干渉したとすれば、それについて誰も何の対策も講じることはできない。

 

≪本書では、今我々に起きている危機ー価値の危機、資本主義の危機、民主主義の危機、テクノロジーの危機ーの現状を解説して解決策を探りたいと思っています。そして、ここに挙げた四つの危機は、私が「表象の危機」と呼ぶものに集約することができます。表象の危機とは、ここまで論じた、イメージによって真実が覆い隠されている状況です。≫

 

本章のまとめと本書の導入部分。

「表象の危機」から脱するためには「新しい実在論」が必要との主張。

 

第2章 なぜ今、新しい実在論なのか

≪まず、私が提唱する「新しい実在論」(New Realism)について、本書の読者に向けて簡単に説明しましょう。「新しい実在論」は、二つのテーゼが組み合わさってできています。まったく次元が違う二つを組み合わせているため、革新的で哲学界の歴史においては初めて提唱される考え方です。

二つのテーゼとは何か、それぞれ見てみましょう。

一つ目は、「あらゆる物事を包括するような単一の現実は存在しない」という主張です。「世界は存在しない」という有名なスローガンになりました。現実は、いわゆる「意味の場」と呼ばれる場所に現れます。「意味の場」は複数あり、それぞれ領域は違えど、すべてが同等に現実になります。・・・(中略)・・・

第二の主張も、一番目と同じくらい重要です。「私たちは現実をそのまま知ることができる」という考え方です。なぜなら、我々はまさにその現実の一部であるからです。私が自分の精神状態を知ることができるのは、自分がまさにその精神状態そのものだからです。≫p42~44

 

世界には統一的な現実があるわけではない。意識レベルでも、物質レベルでも複数の現実がそれぞれの「意味の場」に現れる。

また、私が生きる現実はすべて「知ることができるもの」であり、現実について隠されたものはない。

 

≪「新しい実在論」において重要な概念である「意味の場」について簡単に解説しましょう。「意味の場」とは、特定の解釈をする際、対象をいかにアレンジメント(配列)するかということを意味します。たとえば、我々が今図書館にいるとしましょう。図書館でどうやって本を探すかという視点から、「意味の場」について説明することができます。あなたは本の冊数をどのような方法で数えますか?・・・(中略)・・・

今述べたことを特別にする(本の数え方を「冊数」と決める)ような性質は、我々が置かれている状況(図書館)には備わっていません。本のページ数、文字数、情報の数、本を寄贈した組織数、生産した組織数ー我々が置かれている状況(図書館)では、すべてが真実です。それぞれ異なる測定ルールを使っているだけのことです。この測定ルールを、私は「意味」と呼びます。言語学で言う意味論の「意味」です。≫p49~50

 

ある状況に対する計測の仕方は複数ある。それぞれ異なる測定ルールに従って投げかけられた問いが「意味」そのものであり、答えがその「場」となる。対象は「意味の場」にあり、「対象の本質が問いへの答え」(p52)である。

 

別著でマルクス・ガブリエルは「意味」の定義として「意味とは対象が現象する仕方である」と述べている。『なぜ世界は存在しないのか』

 

≪ということは、まずその数え方を定義しなければならないということです。私はそれを計数ルール(a rule of count)と呼んでいます。すべては「何に関心があるか?」という問いから始まります≫p52

 

関心の在り方によって、計数ルールは異なる。特定の計数ルールをあてはめ、対象のコンセプトを知ることができるが、特権的、包括的な一連のコンセプトなどというもの存在しない。

決定的な数字(答え)が存在したとしても、現実はそれを超えていき、コンセプトもその数字も絶えず変化し続ける。

 

≪コンセプトの意味(meaning)、つまり意図(intention)こそが私が意味(sense)と呼んでいるものです。私のいう「意味」に呼応して現実で起こるのが「場」です。「意味の場」の外には何も存在しません。すべてのものは、コンテクスト(文脈)の中で起こります。≫p54

 

意味は対象に対して適用される測定ルールによって変わるが、その問いはすべてある文脈の中で発生する。

 

≪大切なのは、誰が正しいのかという問いです。誰が何を言うのかは重要ではありません。重要なのは、彼らが正しいかどうかだけだからです。・・・(中略)・・・

重要なのは、誰が何を言うかではなく、その人がしかるべき理由を持ち、正しくあるかどうかです。≫p59

 

正しくあるためには、理性をコンセプトにしなければならない。何が真実であるか、人間とは何か、という問いに答えなければならない。

 

≪モダニティ(近代性)は人類の自滅を引き起こすのです。近代科学ほど人を殺したものはありません。≫p62

 

自然科学と、自然科学を経済学や技術生産へ応用することが「救済への道」とする考え方はアメリカンイデオロギー的で、今の共産主義と同じように自然主義的。

アメリカと中国は同じイデオロギーを奉じているので対立している。

 

 

 

ガザ紛争に対するスタンスへの批判

評者   細野恵太(文筆業)

批判対象 8月25日配信「朝日新聞」インタビュー

 

【視点】

マルクス・ガブリエルはイスラエルを支持しています。もちろん、ドイツの歴史的背景がその理由にはあるのでしょうが、現在、ガザで行われている虐殺を考えると、彼のいう「倫理」とは結局、西洋白人中心主義的なものでしかないのではないか、と疑問を持たざるを得ませんね。

 

ひとことまとめ

マルクス・ガブリエルのイスラエル支持については各方面から批判が加えられている模様です。

thinks, in the abyss without humanというブログではこの辺りの事情が詳しく論じられてます。

 

新自由主義の評価についての批判

評者     伊藤昌亮(成城大学文学部教授)

批判対象   8月25日配信「朝日新聞」インタビュー

 

【視点】

新自由主義の参照点の一つであるアダム・スミスは『国富論』に先立って『道徳感情論』を著し、共感に基づく倫理的な感覚が市場主義を支えるものであることを強調しましたが、ガブリエル氏の思想はそうした議論を思い起こさせます。

 

とはいえ、今日の新自由主義は、かつての自由放任主義と同じものではなく、競争市場を創り出すためにあえて国家が介入する、という側面を強く持っています。そこにはいろいろな業界間の駆け引きがあり、決して「神の見えざる手」任せというわけではありません。

 

しかもとくに日本の場合には、新自由主義によって福祉国家が切り崩されたというよりも、政官財の癒着による旧来の構造が刷新されたという側面が強くあり、その点は「改革」としてポジティブに語られてきました。そうした二重構造があることも見落としてはならないでしょう。

 

いずれにせよ、新自由主義は単純なものではなく、地域ごとの背景の中でその内実を見ていく必要があります。哲学的な考察はその出発点になるものでしょうが、加えてもろもろの社会科学の知を動員し、現代の「時代精神」であるこの概念を精密に見ていく必要があるでしょう。

                                     了

 

ひとことまとめ

マルクス・ガブリエルの新自由主義に対する見立ては一面的であり、現在ではむしろ政府の介入が自由放任主義を後押ししている面がある。

地域によっても、新自由主義的政治スタンスは意味あいが異なる傾向があり、日本では新自由主義的アプローチによって旧来の癒着構造が刷新された経緯がある。

8月25日朝日新聞DIGITAL インタビュー

新著「倫理資本主義の時代」(ハヤカワ新書)の出版を機に、ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルさんが朝日新聞の取材に応じた。気鋭の哲学者が提唱する、倫理と資本主義の統合とは。そして新著を母国や英語圏に先駆けて日本で出版した理由とは。

 

Q

これまでも倫理と経済の関係についてさまざまな機会に発信されてきましたが、この本を出版された意義は?

 

M・G

私が提唱する「倫理資本主義」の全体像を提示するのはこの本が初めてになります。その要点は、経済における倫理的価値は脇役ではなく、むしろ経済を動かすものであることを示すことです。

 

企業の利益追求の誤りについては、ジャーナリストが調査報道などで指摘します。悪質な企業はあるでしょうが、企業にとっても倫理的に正しいことは本来利益になるというのが私の主張です。

 

≪新著の中で、資本主義の問題点を認めながらも、資本主義を諦めて社会主義のような別の経済システムと取り換えるというような主張を現実的でないと否定する。求められているのは「革命」ではなく、資本主義の倫理的な側面を強化するような「改革」だとして、事業活動に倫理的な問題がないかどうかを点検する最高哲学責任者(CPO、チーフ・フィロソフィー・オフィサー)を企業が設置することなどを提起する≫

 

Q

魅力的な主張ですが、現実的には悪質な行いで利益を出す企業もいるでしょう。短期的な利益を意識する企業にとって、現実的な解決策になりえるでしょうか。

 

M・G

企業が道徳に反する行いを続けたらどうなるでしょうか。私たちは社会の中で他者との関係の中にあるのであり、社会を傷つけるような道徳に反した行いは持続することができないでしょう。

 

いきすぎた新自由主義的な経済活動の結果、人々の間の格差が広がりました。極度の貧困や環境破壊により土地を追われた人々は移民につながり、また新たな格差を生みます。米国やフランスなど世界中で見られるように、格差により深刻になった世界の分断が民主主義を脅かしています。経済が社会を不安定化させている以上、私たちは経済に介入しなければいけません。

 

新自由主義的な経済政策を各国が採用し、政府による経済への介入を最小限にする改革が採られた結果、少数の富裕層に資本が集中する「経済的寡頭体制」を招き、それは「封建主義的状況への退行だ」と新著で指摘する≫

 

Q

新自由主義が現在の社会問題を招いたとみているのですね。

 

M・G

新自由主義は市民の自由を約束するものです。しかし、経済の分野で新自由主義的な価値観が浸透した結果、倫理的な側面を考慮しない利益追求を助長し、さまざまな問題を引き起こしました。

 

フリードリヒ・ハイエクは、ナチスへの抵抗という意図があり偉大な思想家でした。

 

ところが、新自由主義の主流がアメリカのシカゴ学派になったことで間違いが起こりました。ミルトン・フリードマンらによって、新自由主義の哲学的背景が切り落とされ、経済の問題と捉えられてしまったのです。

 

彼らの考えは米国のレーガン政権や英国のサッチャー政権など世界中で政治の分野に影響を及ぼしました。市場のメカニズムを守り国家の介入を最小限にするという主張が世界に広まり、社会を弱体化させてしまった結果、米国のトランプ前大統領やアルゼンチンのミレイ大統領のように極端な主張をする「政治的モンスター」を生み出してしまったと考えています。

 

≪これまでの哲学的著作の中で「新実在論」という立場を表明し、すべての事物や事実を包摂するような客観的な「世界」というものの存在を否定している。またこの考えから「世界」のすべてを記述し尽くすような法則や公式も否定する≫

 

Q

あなたは哲学的な「新実在論」の立場から、「世界の全ての事象を科学的に説明できる」というような科学を万能視する見方を否定しています。同様に世界を経済の観点から包括的に語ることもできないのでしょうか。

 

M・G

とても重要な点です。主流派経済学も彼らの数学モデルで世界を包括的に説明することはできないでしょう。

 

一方で、経済はまだ更新することができると私は考えています。ケイト・ラワースが提唱する「ドーナツ経済学」や、エリノア・オストロムが主張した「コモンズ」に関する分析のような新しい経済学を模索する動きがあります。量的な成長だけではなく、質的な成長を計測しようとする試みもあります。

 

「国民総幸福」という数値で知られる国ブータンのように、幸福を経済的に測ることができるのではないか。質的成長を定量的に測ることはできるのではないでしょうか。

 

Q

本書は世界の中で日本で最初に刊行されました。その理由は。

 

M・G

本書にはドイツ語版や英語版で刊行する計画がありますが、日本で最初に出版したことにはいくつか理由があります。

 

この10年ほど日本に来るようになって、私の資本主義への見方が変わりました。資源を持たない国が、生産性を高めることによって世界の経済大国となりました。安定雇用や強い中間層を築いています。経団連など日本の経済団体にも何度か訪問したことがありますが、私の経済改革に興味を持ってくれました。

 

ヴァルター・ベンヤミンは「宗教としての資本主義」という言葉を残しましたが、日本は資本主義が宗教としてもっとも根付いた国ではないでしょうか。

 

Q

マックス・ウェーバーは古典的傑作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、禁欲的なプロテスタンティズムの教義が適合して資本主義が成立したと説いています。キリスト教の国ではない日本では、資本主義は本質的に根付かないと言われることもあります。

 

M・G

まずウェーバーが言うようなプロテスタンティズムが資本主義を牽引してきたというのは間違いだと指摘しておきます。カトリックであるドイツのバイエルンやスイスなど、経済的に成功するのは必ずしもプロテスタントの地域ばかりではない。

 

そして日本についてですが、私は日本が一見、西洋化したようで完全には西洋化しておらず、仏教や神道といった伝統のレイヤーが日本の資本主義を牽引したと考えています。

 

とくに日本人の時間概念が重要です。仏教の寺院は、ハードな勤労の場でした。僧侶は時間を守り整然と清潔に働く。倫理的な意識も高い。日本人のこの感覚が経済成長の原動力になったのではないでしょうか。

 

ユニークかつ有数の資本主義の国である日本の読者にぜひ私の本を読んでもらいたい。私の主張に共感してくれることに期待します。

                                  

 

まとめメモ

倫理規範を軽視し、利益の追求を専らとする企業群が社会を不安定化している。

彼らの行動原理には、哲学的背景を切り落とされた新自由主義的な価値観が浸透している。

倫理的規範をてこにした利益追求を行動原理とする企業群の登場が望ましい。

 

 

8/21東洋経済オンライン インタビュー

格差の拡大や富の集中、大量生産・消費による環境への負荷など、現在社会が抱える問題を「資本主義のせい」にする見方は少なくない。

そんな中、ドイツのボン大学教授で哲学者のマルクス・ガブリエル氏は、ポスト資本主義は脱成長でも、新自由主義でもなく、”人も企業もいいことをして利益を得る”という「倫理資本主義」だと主張する。

倫理資本主義で社会はどう変わるのか、著書『倫理資本主義の時代』を世界に先駆けて日本で上梓したガブリエル氏に聞いた。

 

Q

なぜ日本で最初に出版しようと?

 

M・G

この10年間、頻繁に日本を訪れ、多くの哲学者やそのほかの分野の教授、そしてビジネス界のリーダーや政治家たちと交流してきた経験から、日本は多くの改革を実施できるユニークな立場にあると感じました。

 

例えば、「カイゼン」。これは倫理的なビジネスを行うための手法ですが、日本の労働倫理が単なる個人の精神的な鍛練ではなく、非常に安定した秩序によってもたらされていることは、世界的に良く知られています。

 

中間層は強力で、トリクルダウン効果も機能している。つまり、強い経済によって運営されている社会民主主義が日本ではまだ維持されているのです。ただ、他国と同様、日本もさまざまな脅威にさらされている。

 

そこで、哲学から得た洞察と日本におけるビジネス慣行や思想を組み合わせれば、日本がポスト資本主義としての倫理資本主義の先進国になるのではないかと。

 

Q

ただ、日本は変化に疎いというか、「変化を拒む国」だと思うのですが。

 

M・G

もちろんすべての変化がいいわけではなく、社会的変化に対して慎重であることも理解できます。だからこそ、変革ではつねに最善の方法をとらなければいけない。そこで登場するのが倫理資本主義です。これは”消費者も、生産者も、起業家も、経営者も、労働者階級も、誰もがいいことをして利益を得る”というシンプルなものです。

 

Q

いいことをして利益を得る?

 

M・G

私たちは皆、いい睡眠を得たいし、同僚を良好な関係を維持して、いい環境で働きたい。そして平和と繁栄を望んでいる。企業がこれらに向けて貢献すれば、大きな利益を上げる可能性が高くなる。

 

もちろん、そこへ到達するには、個人の小さな決断一つ一つが、「いいことをしたい」という願望によって実行される必要があるし、それを個人、集団(家族)、組織(企業、社会)にスケールしていくことも必要です。

 

Q

著書では、倫理資本主義において過剰な消費を抑制する必要性を述べていますが、現実にはなかなか難しいのではないでしょうか。

 

M・G

それは個人ではなく、企業側の問題ですね。私たちが消費する商品を生産するのは企業ですから。私の主張は、消費者個人が消費行動を道徳的にすべきということではなくて、サステナブルな企業がそうではない企業を経済的に凌駕するというイメージです。

 

具体例を挙げましょう。約9年前、私はチューリッヒにあるスイス最古のベジタリアンレストランに行きました。そこの料理は街のどのレストランよりもおいしく、それを理由に再訪したくなりました。ベジタブルハンバーガーのような商品が競合の商品をクオリティで勝れば、顧客もいいほうを選ぶのです。

 

Q

たんに環境保護や動物愛護のためではなくて、、、

 

それからもう一つ、価格の問題からサステナブルな商品を選びにくい人のために、購入しやすい商品を開発する必要もありますね。

 

Q

そういった倫理資本主義を実現させている企業は?

 

M・G

ありますよ。一つは、気候変動に関する世界最大の情報プラットフォームであるスウェーデンSNS「We Don’t Have  Time」。これを立ち上げたイングマ・レンズホッグは、グレタ・トゥーンベリの有名な写真を撮った人物で、気候変動活動家です。

 

「We Don’t Have  Time」は、アメリカ中の市、あるいは州の決定権を持つ人たちに情報を提供し、例えばドナルド・トランプが石油業界に有利な政策を推し進めようとした時に、それに反する動きを促したりしてます。

 

ガブリエルさんは、「倫理資本主義を浸透させるには、各企業にCPO(Chief Philosophy Officer=最高哲学責任者)が必要」と提案されています。倫理資本主義においてCPOはどんな役目を果たすのでしょうか。

 

M・G

私自身、セールスフォースやロレアルのほか、多くの企業と仕事をしていて、その中には新進気鋭のドイツのAI企業もあります。ボン大学では州の経済省が後援する「認定人工知能」という倫理的基準に基づいてAI製品を認証するプロジェクトを行っていますが、このAI企業はこれを採用し、信じられないほどの成功を収めています。

 

採用している大規模言語モデル(LLM)は、ChatGPTと同じシステムですが、違うのはケルン市の行政データのみを使用しているところ。ネットからも隔離されているため、ChatGPTのような「幻覚」は見せないわけです。

 

例えば、「ある地域に保育施設を建設するための提案書を書いてほしい」とシステムに依頼すると、3分で3案を作ってくれる。そして最終的に私たちはそれらの案からいずれかを一つ選ぶ。これは生産性を向上するものであり、自動化するものではないので、誰も解雇されません。CPOは、ここでいうところの倫理的基準を作る際に使命を果たす。

 

Q

OpenAIからはCPOなど倫理コンサルティングの依頼はないですか?

 

M・G

来年、京都でサム・アルトマンCEOと会う可能性が非常に高いとは思いますが、、、言えるのはそこまでです。

 

Q

倫理資本主義の前提となるサステナビリティについては世代間で感度が違いそうです。

 

M・G

私は8月から京都哲学研究所の顧問として働いていますが、代表理事の1人であるNTTの澤田純会長は若くはないけれども、とても素晴らしく知的な方です。NTTは日本のトップレベルの哲学者、例えば京都大学の出口康夫教授(京都哲学研究所共同理事)とも協力しています。

 

このほか、経団連では多くのビジネスリーダーと話す機会がありましたが、サステナビリティへの理解をより深めたいという明確な意志を感じました。

 

Q

どの企業もポーズではなく、SDGsには本気だと。

 

M・G

政治の道徳的ジレンマを解決するのはビジネス界にあるという認識が、浸透してきたと思います。利益を上げることは、不安定な環境ではできないからです。アメリカやフランスで見られるような政治的不安定の多くは経済的問題に起因しており、中産階級の下層にいる人々は、実際に購買力が低下しすぎている恐れがあります。

 

その解決は政治にはできない。富の再分配だけでは中間層の底上げは無理で、雇用を増やす必要があります。そのためには、余剰価値を生み出すSDGsに力を入れるしかないのです。

 

Q

では、投資家は倫理資本主義にどうかかわるべきでしょうか。

 

M・G

私は代替経済対策の分野で多くの仕事をしてきましたが、ブータンで1年間一緒に仕事をしたカルマ・ウラが考案した「国民総幸福指数」や、イギリスを代表する経済学者、デニス・スノワーの研究である代替経済指標やウェルビーイングの測定の指標を、企業に当てはめて(投資対象として)見ていくことを提案します。

 

一般的に多くの人は企業の負の部分について、その有害性に対して代償を支払わせるべきだと考えていますが、ポジティブな社会貢献について測定し、その企業に対価を支払うことだってできます。罪ではなく、社会的ウェルビーイングへの貢献に対する報酬制度を考案するのです。

 

Q

報酬がカギなんですね。

 

M・G

例えば、ある企業が社会福祉にプラスの効果をもたらしたとしましょう。貧しい地域に雇用を創出し、人々を下層階級から中間階級に引き上げるような。それで人々はより環境にやさしいサステナブルな自動車を買うようになる。こうした循環を作った会社に対しては減税という措置があってもいい。

 

Q

倫理資本主義が実現した場合、富裕層を減らすことなく、貧困層を減らすことはできるでしょうか。

 

M・G

私は、哲学者ジョン・ロールズの有名な考え「格差原理」を全面的に信じています。ロールズによると、経済的不平等は「富める者がより裕福になるという事実は、貧しい者も利益を得るという事実と相関することによってのみ正当化される」。

 

理想はその距離が少し縮まることで、いずれにしても、このように経済的水準が向上できれば、現代経済では理想的な形で富が蓄積されれば貧困層が減るのです。

 

昨年ドイツは日本を上回る第3の経済大国になりましたが、その一方で右傾化が進んでいます。その理由は、インフレに対して十分な補償がされなかったというのと、もう一つ、ドイツはグリーンエコノミーを推進していますが、これにはコストがかかる。

 

そこがよく理解されておらず、不服に思う有権者が極右に移行しているのです。不平等が問題なのではなく、トリクルダウン効果が必要なのです。それを行うのは企業の責任であり、政府の責任ではありません。

 

Q

著書では「貧困をなくすには、制度ではなく、貧困を禁止する法律が必要だ」とあります。

 

M・G

貧困を生み出す企業が「罰せられる」と想像してみてください。ヨーロッパではサプライチェーン法(サプライチェーン上における人権や環境基準が遵守されていることの確認の義務付け)が大きな議論になってます。

 

法律を設計するには優れた専門家の力が必要ですが、この法律を通じて企業の雇用状況をチェックでき、無責任な解雇を測定でき、直接的、あるいは間接的に貧困を減らすことに貢献できます。

 

日本も貧困がどのように生じるかを研究し、それを経済指標で測定し、貧困を生み出す原因になっている組織などへの刑罰を開発する。貧困を引き起こした企業には廃業のリスクもあるのです。もちろん、これにはきちんとした経済指標が必要です。

 

                                     了

 

ひとことまとめ

生産性を上げ、利益率を高めることで社会を持続可能で安定化する方向に導いていけるような企業群を育成する必要がある。

そのために企業の行動原理に対して倫理基準を提案できる役職の活動が求められる。